『特に用事はないけれど』




「そーらっ!」
オレの腰に抱きつきながら、兄ちゃんが嬉しそうにオレの名前を呼ぶ。
「何?」
あまりにも嬉しそうだから、何かあるのかと思ったんだけど。
「特に用はねぇ!」
「……あ、そう」
何だよ。期待した自分がバカみたいじゃんか。
呆れながら視線をまたテレビに向けた。始まったのは天気予報。明日は雨らしい。…朝は大丈夫かな。早朝ランニングが出来ないのは嫌だぞ。

「空ー」
「だから何?」
相変わらず腰にまとわりつく兄ちゃんを見下ろして尋ねる。

「別にっ」
そんな嬉しそうに笑いながら言うことでもないだろう。
テレビでは何だか豆知識らしい料理の話が始まって。
手軽に出来る!かぁ…。結構役に立ちそうだから覚えとこ。

「そーらー」
「何?」
テレビに映し出されている材料を覚えるのに必死で、自然に視線はテレビに向けたまま。
「空」
「んー?」
「……そらぁー」
「なに?」
しつこい呼びかけに軽く返事をしながらテレビを暗記。
マジでこれ使えそう…。明日作ろうかな……。

「そらそらそらそらそらそら」
「だから何?」
テレビを一通り暗記して、いい加減うざくなって兄ちゃんを見下ろした。
少し睨みながら。

「別に」
なら何で呼ぶのかな?
嬉しそうにそう答える兄ちゃんに呆れながら兄ちゃんの黒い髪に手をのせた。
「……空」
相変わらずオレの名前を呼ぶ兄ちゃんの頭を優しく撫でる。
縋りつくようにオレに抱きつく兄ちゃんを受け止めて。嬉しそうに笑ってる兄ちゃんを見つめる。


少しの間だったかもしれない。長かったかもしれない。どれくらいだかわからないけど、兄ちゃんの頭を撫でていたら無意識に口が開いた。
「………兄ちゃん」
「何だぁ?」

無意識のことに少し慌てる。

「べっ…別に!?」
「…あ、そう」
顔を紅くしながらさっきの兄ちゃんの言葉で返したら、何でもお見通しって感じで兄ちゃんは凄く嬉しそうに笑ってさっきのオレの言葉で返した。

そんな顔で見つめられて、オレの顔は紅くなるばかり。
「空かーわいー」
「……兄ちゃんのバカ」

視線を逸らして天井を見上げる。
こんな顔で兄ちゃんを見てられないっての!
片手で口元を覆った。顔全体を隠したいところだけど、片手だとこれで精一杯。もう片方は兄ちゃんの頭にのせたまま。

「空ー」
嬉しそうに笑いながらまたオレの名前を呼ぶ兄ちゃんは、顔を隠そうとしている手を握って。



「…空」
「……兄ちゃん…」

握られた手を軽く引っ張られ、されるがままに。
顔の紅さが恥ずかしくて、目を瞑ったまま兄ちゃんに近づいた。





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水空が消えた腹癒せに(笑/何
相手の名前が呼びたいんですよ。なんか呼んじゃうんですよ。
そんなお話。